「謎に魅せられて、水圏生物の生態の解明に挑む2人。」
坂井先生: 今日は、ともに海の生物を相手に研究活動をしている者同士ということで、対談の場が設けられました。
一緒にいろいろな話ができればと思います。よろしくお願いしますね。
笘野さん: こちらこそよろしくお願いします。今日を楽しみにしてました。せっかくの機会なので、たくさんお話を伺えればと思っています。
早速ですが、先生の研究室では長く、海産魚類の生態調査を行っておられますよね?
坂井先生: そうそう。ぼくのちょっと前の時代にいらした具島健二先生(※1)が口永良部島(※2)での研究を始められたんですよね。この方が潜水研究第一世代にあたるひとで。
それまでは水揚げされた魚を解剖して生態を調べるっていう手法がメインだったんだけど、日本では1970年代ぐらいから、人間が海のなかに入って観察しようよというので、スキューバを持ち込んだ研究が始まって、いまはもう当たり前になっていますよね。
うちの研究室には、そういうすごく恵まれたフィールドがあるんですよ。それも、広島大学のオフィシャルの施設じゃなくて、個人的なつながりでお借りしているおうちがあって、1970年から現在まで約50年間の研究活動がずっと続いている。その島ではサンゴ礁魚類をメインに、その暮らしを調べています。
ぼくのメインの研究というのは、「魚類行動生態学」という分野で、繁殖や採餌活動に関わる種内・種間関係、生活史パターン等を、平たく言うと、魚の暮らしや社会を調べるという感じです。魚の個体識別をしながら、スキューバとかを使って、自然状態の魚たちの生き様を記録して、彼らの戦略であるとか、行動と生態のおもしろさを読み解いていくような。そういった研究を続けています。
口永良部だけではなく、瀬戸内海もフィールドにして、特に魚類の性転換(※3)研究に重きを置いてずっとやってます。またサブワークとして、学生も巻き込みながら豊潮丸でいろんな海に調査に出るということもやってます。豊潮丸では、温暖化に関するような生物相、魚類相調査や、生物採集に基づいた「水産資源学」的な研究もやりますね。
笘野さん: 観察調査にでかけて、いろいろ成果を挙げていらっしゃるんですよね。先生の「研究のポリシー」というのはどんなものなんですか?
坂井先生: 「おもしろい魚を研究せよ」っていうのがぼくの指導のやり方なんですよ。おもしろいっていうのは、いままで人類が「魚ってこんなもんだ」と思ってたものを覆せるような、さらに魚の可能性を引き出して、それを通訳して、人類に知らしめるような役割を果たせるようなという意味で。「おもしろいね」がいちばんの褒め言葉になるような研究をしたいと思ってますね。もちろん、「役に立つ」ということも重要ですけどね。
笘野くん自身はどうなの?「アオリイカ研究」ですっかり有名になってるよね?
笘野さん: いえいえ、まだこれからなんですが、おかげさまで、学位論文のときにやった「アオリイカ」の研究で評価をいただいたので、これを続けていきたいと思っています。
ご存知のように、乱獲などで魚の資源量が世界的に減少するなか、なぜかイカは資源量が増加している。それは、イカは寿命が1 年しかないので、環境変動があっても遺伝子をすぐに次世代に残していけるから。そのため、イカは人間が使える資源として有望視されてるんですよね。なかでもアオリイカは「イカの王様」と言われるぐらいおいしいイカで、しかも、その生き様というのは調べたひとがこれまであまりいない。そこでぼくは、遺伝子情報を用いてアオリイカの生態を調べようと思ったんです。
その生き様を知ることで、アオリイカを将来にわたって人間が利用しながらも資源を守っていく、その相反する2つを両立させるような研究をいまやってます。これまでに、イカに遺伝学的解析を行うことで、アオリイカ属3種の分布と資源構造の解明といった4つの成果を挙げることができました。
うちの研究室の大きなテーマは、「人間が利用している海の生き物の生き様を知る」というものなので、坂井先生のところと近いものがありますよね。
坂井先生: そうだよね。ぼくから見ても、あなたの研究はおもしろいですよ。まさかあのアオリイカに3種類が混在していて、それぞれの分布や水深が違っているなんてホントにビックリするようなトピックを見つけていて。
ぼくのスタンスからおもしろいものを見つけようという研究を始めても、イカ資源のためにっていうことで研究を進めても、結局突き詰めたら、おなじところ、おなじおもしろさに届いているんですよね。
だから笘野くんの研究というのは、アピールする場をどんな風に変えても通用する、すごく魅力ある研究成果を得ていると思います。
笘野さん: ありがとうございます。ポリシーとしては、「役に立つ」っていう方に重きを置いていて、イカを食べながらも守っていくっていうことを両立させることができれば、漁師さんをはじめ、イカに関わるすべての人がハッピーになる。そんな研究がしたいと思っています。
坂井先生: 笘野くんがやってる「遺伝子を使うことで生態学研究に新しい光を投じる」っていうのは、海洋での研究にスキューバを持ち込んだ具島先生の、まさにその現代版なんですよね。いままで誰も気付かなかったことに気付くことのできる手法、まさに次世代の生態学研究では必須の技術を持って、これから戦っていこうとしている。フィールドワークもしっかりこなして、自分の目で生き物をみることの大切さも科学者としてちゃんと認識している。
そういう意味で期待ができる存在なんだよね、笘野くんは。
「研究者を志すまで。広島大学の研究環境とは。」
笘野さん: ぼくが研究者になろうと決意したのは博士課程前期2年のときなんです。
それまでは地元の岡山で高校教師になろうかと。
ところが、ちょうど教員採用試験を2か月後に控えた頃に、指導教員の海野徹也先生(※4)から、「お前は研究でもっとでかいことができるんじゃないか」と言われまして。
ちょうど試験勉強をしながらも、「このままでいいのかな」っていう気持ちもあった、そのタイミングで言われたので、あぁこれはもう、自分の理性で考えるんじゃなくって、心で考えて、ワクワクする道を選ぼうと思って、そっちを選びました。
研究者って、1年後2年後に自分がどこの国で何をしてるかも分からない。ましてや30年後なんて自分がどういう姿になってるかなんてまったく未知数。その可能性にぼくは魅力を感じたんです。
でも、そんなことを言ってくださった海野先生からは、「研究者はいばらの道だ」と言われたんですけど(笑)。
坂井先生: すごいね。海の男ですね(笑)
笘野さん: あはは(笑)。大海原に何か待ってるから行きたいっていう…
坂井先生: でもそんな感じですよ、研究者をめざすというのはホントに(笑)。
ぼくはっていうとね、研究者にはなりたいと思ってたんですけど、大学の先生への意識はさほどなかったんです。研究者をめざそうとした大きなきっかけは博士課程前期2年のとき、1991年に日本であった国際学会ですね。
ぼくがそもそも動物の行動や生態に興味を持ったのが、ノーベル生理学・医学賞を取った動物行動学のパイオニアのひとりコンラート・ローレンツさん(※5)の書いた本を高校時代に読んで感化されて、動物の行動や生態を研究できる大学で魚の研究をはじめました。博士課程後期へ進学を悩んでいる最中に参加したのが、その本を翻訳されていた日高敏隆先生(※6)が行動生態学という新しい動物行動学のビッグネーム達をたくさん日本に呼んでくれた学会だったんですよ。
魅力あるひとたちばっかりが勢揃いするのを見て、こういうひと達をうならせる研究をやっぱり発表していきたいという気持ちがわいてきて、ずっとこういう関係を続けていきたい、ここではやめられないって思ったんですね。
それで、博士課程後期に行って、研究を続けるための選択肢のひとつとして、大学の教員になったという訳です。
笘野さん: 広島大学に来られたのはいつ頃ですか?
坂井先生: 2001年です。その前は文系の私立大学の経済学部所属だったので、生物学の講義を通じて動物の行動生態の学問のおもしろさを伝えられても、弟子が育てられないんですよ。
やっぱり、自分が学生のときに感じたのと同じような想いで大学に進んでくれた子を伸ばしてあげたい、弟子を育てたいということで、広島大学に来たという感じですね。
広大のことは、具島先生のことや、魚類生態の研究でおもしろいことやってるなっていうのはずっと知ってました。いろんな大学の研究室が集まるミニ学会みたいな場があって、発表を聞かせてもらってると、広島大学の学生ってパワーがあってすごいんですよ。
いまどき、こんな想いで研究にまっすぐ向き合ってやってる学生が集まるとこってなかなかないなとは思ってましたし、そういった印象はいまも変わらないですね。
笘野さん: ぼくは実家が岡山でカキ養殖をしていまして、カキと言えば広島だろうっていう(笑)安易な理由で広島大学を志望して、指導教員の海野徹也先生に出会えた。それが研究者になるいちばん大きな要因だったと思います。
おそらく広大に来てなかったら、研究者への道に進むのは難しかったと思いますね。
坂井先生: やっぱり研究者をめざすプロセスには、なにがしかのドラマチックな出会いがあるもんだよね。
笘野さん: 確かに、それは思いますね。
ぼくは基本的に、何をやってても毎日楽しいんですが、先生は、研究そのものの醍醐味って、どのあたりに感じていらっしゃますか?
坂井先生: そうですねー、例えば、予想が大きく裏切られる現象に直面したり、逆に予想通りうまく確認できたり、生き物の謎にアプローチするプロセスはそのすべてがエキサイティングですよね。これまでに報告がない、誰も確認したことがないものが確認できたときはドキドキします。でも、それをちゃんと論文という形で発表できたときもまた、同じぐらいエキサイティングで、うれしいですよね。
笘野さん: ぼくも、自分が誰も見たことがない世界の第一発見者になれるっていうのはすごいワクワクしますね。誰も知らないんですからね。
自分がその第一発見者になれるっていうのが…やっぱり知的好奇心がありますし。
もちろん、論文が出たときも、なんか自分の子どもが生まれたみたいな…
坂井先生: あー、そうだね(笑)。
笘野さん: 論文が出るまで苦労した分、やっと生まれたんだなって、すごい感慨深いですよね。
加えてぼくが感じるのは、研究者としてはまだまだですけど、一応、研究者を名乗ることによって、立場を越えたいろんな方々と出会うことができるということです。
例えば、釣り具業界の方とお話をすると、いきなり社長さんに紹介されたりとか、漁師さんと話すと、突然、組合長の方や県の水産の政策を考えてる方と話すことになったりとか。
ぼくの場合だと、アオリイカを取り巻く関係者と、みんなと対等に会話ができて、さらに誰かと誰かをつなぎ合わせて、一緒に何かおもしろいことをしたりだとか。そういう風に、自分の世界を広げていけるっていう…。
それが自分のためにもなるし、相手のためにもなって、それがゆくゆくは世の中みんなのためにもなる研究に持って行けるっていうのが醍醐味かなと思います。
坂井先生: 広島大学の生物生産学部やその上にある生物生産学部っていうのは、お魚の研究者として見ると、隣の研究室も上の研究室もぜーんぶお魚のことがしゃべれる先生で、お魚好きの集まってる研究組織であるというのがいちばんの魅力ですね。
それはとても幸せな研究環境です。
笘野さん: うちの先生方ってみんな、学生と距離が近いというか、「おれ教授じゃ、えらいぞ」みたいな先生とか、態度で明らかにそういう先生が全くいなくって。みんなジーパンにTシャツで廊下歩いてて、「おぉ!」みたいな。はははっ(笑)
坂井先生: そうそうそう(笑)。
笘野さん: 学生と先生の距離がすごい近いっていうのは、うちの学部が小人数をずっと保ってるっていうのがあると思いますし、学生としてぼくは9年間広大にいましたから、先生方が一人ひとりの学生をちゃんと見てくださるというのを、ひしひしと感じますね。
坂井先生: 横のつながりもいいから、みんなで学生を育てていくっていう、いい雰囲気がありますよね。
それから、施設面で見ても、中四国で唯一の大学所属の練習船「豊潮丸」(※7)を持っているっていうのは大きいよね。船で海に出る、という経験は、それだけで学生にすーごく深いものを残すと思いますね。船から見た瀬戸内海の景色は、多分、一生忘れないと思います。
笘野くんみたいに、研究者を志す人間にとっても深く入る、絶対忘れない故郷の景色になりますよ。
笘野さん: そうですよね。しかも、船持ってて水産実験所持ってるとこって、なかなかないですよね。
あと、ぼくは、キャンパスのなかに他の学部の方もいるっていうのがすごくいいなと思ってて…。実際、教育学部の学生と教育学関連の共同研究をしたこともありますし。
他の分野のひとから学ぶことも多いし、友だちもたくさんできるというのも、総合大学である広島大学ならではの良さだと思ってます。
坂井先生: 大学院もすごくいい学生が集まっていますよね。笘野くんはずっと学部から来てますけど、ぼくの研究室なんかは、大学院から入ってくる子が多いんですよ。
本人の意欲をしっかり評価するというポリシーでやってるから、やる気のある学生たちがやってくる。学内からの子は当然、やる気に満ちあふれてますけど、学外から負けんぐらいのやる気で入ってくる子がいい流れを生むんですよ。
笘野さん: 学外のひとはすごいですよね。うちの研究室も半分ぐらいは学外からですよ。
「広島大学で良かったー!と思う、バックアップの凄さ。」
坂井先生: 笘野くんというと、「広島大学エクセレント・スチューデント・スカラシップ」(※8)成績優秀学生に選ばれたり、学生表彰(※9)されたり、「未来博士3 分間コンペティション」(※10)で受賞したりと、教員としても今後が楽しみな学生の代表格ですよね。
笘野さん: 本当にありがとうございます。
もともとぼくは学力が足りなかったので、広島大学のAO入試のおかげで拾ってもらったんですよ。
でも、学部生の頃は、高校から続けていたヨット部にのめり込み過ぎて、海野先生から檄を飛ばされたことがあるんですけど(笑)。
そんなぼくが表彰等を受けられたのも、広島大学が頑張る学生をとことん応援してくださるからなんです。
ぼくはそれを知っていたので、ティーチングアシスタントやリサーチアシスタントの制度を活用したり、海外で行われる国際学会発表の際には、研究科からの支援に加え、広島大学校友会や生物生産学部の同窓会「緑翠会」からの助成を受けたりだとか、支援制度はほとんどフルに活用していますね。
それから、「未来博士3分間コンペティション」は、グローバルキャリアデザインセンターが行ってる制度で、ぼくは日本語部門も英語部門も国際大会も全部行きましたけど、あれはホント、やってて良かったなと思いました。
坂井先生: やっぱりみんなが見てるんですよね、ちゃんと。
「笘野くん」と言うと顔が浮かぶぐらい、きみがしっかりやってたんで。
そして、ちゃんと制度に対して、あるいは教員が見てるものに対して、しっかり顔を向けてるんですよね、笘野くんは。
そういうものはやっぱり、ちゃんと評価されるというか、そういう意識に出る学生は応援しますよね、学部も大学も。
笘野さん: 本当にありがたいと思ってます。
いろんな賞があると思うんですけど、基本的に自己推薦制だから誰でも応募できるんですよ。賞をもらえたら経歴として履歴書にも書けますよね。それで自分で応募して、自分で申請書とか書けば受かるので、それはとても公平だなと思います。
支援制度もむちゃくちゃ利用して、むしろ、誰も応募してこないから、ぼくが独占してしまって申し訳ないんですけど。
坂井先生: いやいやいや(笑)、「絶対乗ったら得や」っていうスタンス、これが多分すごいんですよね。
だから多分、ふたつ返事でOKするパーソナリティ。でしょう?
やって、必ず自分の力にする、そういう才能があるんですよね。それって大事なんですよ、研究者にとってもね。
やっぱりフットワークが軽いっていうことは、絶対に。
笘野さん: 申請書書いたり、発表の準備とかには、むちゃくちゃ時間取られますよ。取られますけど、やっぱりやってて良かったなと後から思いますから。英語部門に出られたのも、実はマスターから始めた留学生のチューターのアルバイト(※11)がきっかけなんです。
これも大学に応募したらすぐ採用されて、それで英語がかなりできるようになりました。
英語は高校のときにいちばんの不得意科目で、ホントに英語の苦手意識があったんですけど、どうせならお金を稼ぎながら英語勉強できないかなと思って調べたらあったんですよね。留学生の友だちも増えるし、お金も稼げるし、英語も勉強できて、一石三鳥なんですよ。
だから、広島大学には、「こういう制度ないかな?」と思って調べたら、大概あるんですよね。
坂井先生: 今度は海外学振(※12)でアメリカに行くんだよね?
「2人がこれから研究者としてめざすところとは。」
笘野さん: はい、国の研究員として派遣されてアメリカに行ってきます。
全くお会いしたことがない先生のところに行くんですが、この先生を論文で知って、このひとの書いている研究論文だったら、自分の研究サンプルとか手法を足したら、誰もやったことがない、もっといい研究ができるだろうってぼくが勝手に思って。
それでメールを送ったら、「じゃあ一度、来てください」みたいな感じで、速攻、メールが返ってきたんですよ。
だから向こうも多分、同じようなことを思ったんだと思うんです。
だから、思い立ったらすぐ行動して、自分から次の職を取りにいかないと絶対に勝ち取れないような世界なので、ホントに思い立ったらすぐ行動して、海外だろうがどこだろうが、行きたいと思ったら行こうっていう風にしてます。
坂井先生: ちゃーんと自分で自分の道をつくってやる。えらいですよね。
笘野さん: これまでは、いい意味でも悪い意味でも、研究室の先生の学生って見られてきましたけど、そういった看板を背負わなくてもまわりが評価してくれるような人間に、勝負できるような人間になりたいという気持ちが強いですね。
坂井先生: それはもう、若手で、自分に自信があって、これからやったるぜって思ってるひとの言うべきセリフですよねっ。ぼくもやっぱりそりゃあ、師匠の名前のもとでっていうのを外したかったですし、やっぱりそうなんだよね。
そんな風にやる気に満ちあふれてる姿勢っていうのは正しいよね。
笘野さん: これからの2年間は、まずは研究計画書に書いたことは最低でもやり遂げたいです。あ、この申請書は実は、船で太平洋に揺られながら書いたんですよ、ははは(笑)。
坂井先生: それすごいですよ。波で船がこんなんなってるのに…(笑)
笘野さん: 実家ではカキいかだとか、おじいちゃんとかが船で沖に行って、揺れるなかを作業してるのを手伝ってましたからね。
坂井先生: やっぱり船はお酒と似た感じで、いつまでも強くなれないひとはいるよね。学問はできても船に乗れないというのはそれはホントに気の毒で。ぼくはなんとか寝てれば大丈夫なんで(笑)。
だから笘野くんはやはり「選ばれしひとり」なんだろうね。船が淘汰圧をかけるというかね(笑)。
日本でもこれから先に大学の教員として採用される条件が「海外での活動」ですからね。
そういう意味で、笘野くんの、海外に行って研究活動をするっていう動きは、全くお手本になる、若手の動きだと思います。
日本国としても、こういう若手を育てたいということで、まさに国の企画にしっかりこう乗っかって、実を取ってくるっていうね(笑)。
それもこれも、自分のためなんですよ、自分が楽しいから行って、新しい世界にチャレンジして、人脈を広げていくっていうね。
笘野さん: そうですね。多分、楽観的なんですよ、スポーツやってたせいか。
真面目に練習してたやつは大会でも結果が出ますから、本番の緊張感を楽しみながら一生懸命、集中力を競うというのが結構好きで。
なので、これからも日々、楽しみながら研究活動を続けていきたいと思っています。
坂井先生: 研究者として進もうとしているのはどのあたりなんだろう?
笘野さん: まずはイカ研究と言えば、「あの笘野さんがいるよね」みたいな、そういう研究者になりたいと思っています。さらに言えば、日本を代表する海の生き物の研究者になりたいというのが大きな目標ですね。
その前にまずは、坂井先生のように、大学の教員として職を得て、どっしりと腰を据えて、さまざまな研究を学生と一緒にやっていきたいですね。
それから、研究者としては、一流雑誌に論文を出したいというのはあります。Nature、Science(※13)に論文を絶対出したいと思います。
なるべく早いうちに出したいです、頑張って(笑)。
坂井先生: 笘野くんは博士課程後期論文だけじゃなくて、すでにたくさん論文を英語で出版している。それってなかなかできないことですよ。
そこをしっかり努力して、立ち上がって、まさにこれからひとり立ちしようとしているんですから、もうそのあたりにいる大学院生とかと勝負しても負けないだけの知力と経験と、フィールドワークのあたりの力も十二分に持ってると思いますから、さきほど言った目標も、そんなに難しいことではないと、ぼくは個人的には思ってますよ。
ぜひ海外でたくさんの経験を積んで、知見を広めてきてください。
笘野さん: 先生にそう言っていただけると、とても心強いです。
今秋から2年間アメリカで研鑽を積んで、その後は先生方、研究者の輪の中に加えていただけるよう、努力していきたいと思います。
坂井先生: 楽しみに待っていますよ。今日は楽しい話をありがとうございました。
笘野さん: こちらこそ、ありがとうございました。
【取材日】平成29年7月10日
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