“こころ”を理解する近道としての脳内物質への関心からその探求に挑む。
浮穴先生の科学的興味は、人間の“こころ”と“からだ”の関係性にあるという。“こころ”に関わる脳の働きや仕組みについて知りたいという思いが、研究へと駆り立てているのだ。
「最初のきっかけは、高校生の頃のこと。脳内にはエンドルフィンなどの伝達物質が存在していて、それが多幸感をもたらす働きがあることを知ったんです。いわゆる脳内麻薬と呼ばれるような快楽物質です」。
そうした物質の研究をめざして広島大学に進学すると、アミノ酸が複数つながった分子である「ペプチド」を対象に研究がスタートする。その後、自身の研究室を立ち上げる頃になると、脳内には、まだ見つかっていないペプチドがあるのではないかと考え始め、その発見に挑もうと決意する。
まず先生が着目したのが、食欲と気持ちとの相関だ。「例えば、ストレスがたまるとやけ食いをしたり、おいしいものを食べると幸せな気分になるといったことがありますね。そうした食欲調節に関わる脳内物質を発見したいと考えました」。
そうして研究を続けていった結果、先生の研究グループでは、まず2014年に、ニワトリの視床下部漏斗部からNPGL(=Neurosecretory protein GL)と命名した小タンパク質をコードしている前駆体遺伝子を発見し、論文発表する。続いて、ペプチド合成機を使って、効率良くこのNPGLを化学合成することにも成功し、ペプチド合成法についても論文発表。さらに、2017年には、ラットとマウスの生理機能に関する研究成果を論文発表している。
「最初に発見したのは、食欲や成長のコントロールにつながる新規脳内物質です。ニワトリの脳内で見つけたこの物質をNPGLと名付けたのですが、このNPGL遺伝子は脊椎動物において広く保存されていることが分かりました」。
そのため、他の脊椎動物にも研究対象を拡げ『マウスにおいて、NPGLが食欲調節に関与する』、『ラットでは、NPGLが飢餓時や血中のインスリン濃度が低いときに発現が上昇し、高カロリー食下では過食と脂肪合成を促し肥満を引き起こす』といった大きな世界初の発見に成功し、立て続けに発表するに至る。
「ニワトリに続いて、マウスの脳からもNPGLを発見し、その後、ラットでも解析しました。マウスの研究では、NPGLが食欲調節やエネルギー代謝調節に関わることを明らかにすることができ、ラットでは、食欲調節だけでなく、糖質を脂肪に変換して脂肪蓄積を促進する、つまりは肥満を引き起こすということが分かりました」。
脳内物質の調整により食欲を制御できる可能性も。ヒトレベルへの応用に期待。
さらにもうひとつ、先生の研究グループが発見したものがある。それが2018年に発表された、『NPGLと進化的に関係がある別の脳内因子(NPGMと命名)が、やはりエネルギー代謝調節機能を有する』というトピックだ。
「このNPGMは、ニワトリの視床下部領域に発現するもので、なかでもヒスタミンニューロンで産出されることが分かりました。そして、このNPGMは、NPGLと似た構造を持った、いわば兄弟のような関係のものです。NPGMにもエネルギー代謝調節作用があることを見出しましたので、今後はほ乳類に対する検証を進めていきます。NPGLやNPGMは将来的に、ヒトの食欲調節メカニズムの解明や肥満対策の創薬への応用、あるいは、少ない飼料で効率よく育つ家禽類を生み出すなど、多様な応用が期待できます」。
こうした一連の研究成果はいずれも、ヒトの過食や摂食調節メカニズムの解明につながるとともに、メタボリック症候群や摂食障害といった現代人が抱える疾患への治療・改善に重要な役割を果たすものと評価され、特許も取得している。そして、具体的な展望について、先生は次のように解説する。
「NPGLの増加が過食につながるということが分かっていますから、例えば、それらの働きを調整する薬で食欲を減退させ、食べ過ぎを防ぐというようなことが可能になるかもしれません。やせ薬というのは夢の夢ですが、肥満を防止するような創薬への応用はあり得ることだと考えています。また、NPGLは炭水化物の摂取を促し、糖質を脂肪に変換して脂肪の蓄積へと導くということが分かっていますから、近年ブームになっている糖質制限ダイエットは果たして有効なのか否かといった議論に対して、科学的な論拠を与えることにもなると思います」。
多くの可能性を秘めた研究の今後に、さまざまな方面から期待が寄せられている。
志すのは唯一無二の研究。初めての発見を重ねて、謎の解明にアプローチする。
浮穴先生はこのように、まだ知られていない脳内因子を見つけてその機能を明らかにするという「オンリーワン」の研究を進めていこうとしている。目指すのはもちろん、世界トップクラスの研究である。
「わたしたちの研究は、誰も見つけていない、誰も機能や働きを知らない、そういったものをひとつずつ解き明かしていくというところが、すごくおもしろいですね。何もないところから手探りで進めていくというところに醍醐味があります。もちろん、難しいこともたくさんありますが、そもそも研究というのは期待通りには進まないもの。それでも、予想を超えたところに何かが見つかる。そういう想定外の発見というのは、なにものにも代えがたい喜びです」と先生は言う。
また、「小さなことでも見過ごさずにとらえていくことが大事」と語り、「小さなことも逃さず、地道に研究を続けて、学術論文としてまとめるというところまで持っていくことが研究者の仕事ですから。研究だけやる分には、毎日楽しいんですけれど、論文発表するまではなかなかしんどい。それでも、学生さん達がすごくがんばってくれていますからね。彼らの成長も楽しみのひとつです」とほほ笑む。
さらに、「神経・内分泌・免疫機構のクロスネットワークの解明」を目標に、生体防御機構(自然免疫)を分子レベルで解明するため、両生類の皮膚に存在する抗菌ペプチドに関する研究も行ってきたという。
「ニワトリ、マウス、ラット、そして両生類でおこなっている研究から、生体内の物質が有する動物全般に普遍的な生理機能がなになのかを知りたい、というのが今後の目標です。そこには、医学など他分野の先生方の協力も必要になってきます。さまざまな研究に挑みながら、当初抱いていたような、人間の“こころ”と“からだ”の関係の解明へとつなげていきたい。そうした謎に迫るような研究をこれからも続けていきたいと思います」。
いまでもワクワクするこころを抱き続けているという浮穴先生には、あくなき探求心とチャレンジングスピリットがみなぎっている。