ニワトリも腸活!? ニワトリの健康を守るのに欠かせない腸内環境。
「鳥が好き」のシンプルな一念で研究者の道を志したという新居先生。鳥類のなかでもとりわけニワトリを扱うようになったきっかけは、学部時代の恩師に言われた、「研究者を目指すならニワトリをやれ!」のひと言だった。
「それくらい鳥類といえばニワトリが研究されてきたということです。当時の恩師としては、ここで基本を知らなければ応用はできないよという意味を込めて助言してくださったのでしょうね。私自身も次第にニワトリの面白さに目覚め、大学院に進んでからは主に卵管免疫調節機構の解明について取り組んでいました」
そんな先生の転機となったのが、前職である企業を母体とした研究機関への就職だった。ニワトリを含む食肉生産で利益を上げるその企業で、先生は初めてニワトリの腸の研究を開始した。
「ちょうどその頃、TVや雑誌で“腸内環境”という言葉がよく使われるようになったのですが、ニワトリについてもよい菌を選抜しようということで、腸に関連した研究をスタートさせました。大学院では卵管の研究をしていたのですが、卵管の粘膜と腸の粘膜は構造的に似ているということもあり、自分にとっては比較的取りかかりやすい分野でした。また、自身の研究に新たな局面をもたらすといった点でも、“腸内環境”というテーマはありがたい視点でしたね。結果的に現在の研究テーマは大学院時代の研究と企業での研究を合わせた集大成となっています」
実際、養鶏の現場においてはプロバイオティクス(善玉菌)やプレバイオティクス(善玉菌の餌となるもの)をニワトリに与えるといった試みはすでにおこなわれているものの、それらの何が効いて、何が効いていないのかといった詳しいメカニズムに関しては、実のところ、あまりよくわかっていない。だが、研究を通して、確かな知見が積み重なっていけば、より効果的な組み合わせを提言することも可能だ。そして、その礎となるようなモデル試験に取り組んでいるのが新居先生の研究なのである。
腸内環境の悪化による産卵機能低下のメカニズムとは?
腸内環境が悪化すると、具体的にどんな影響が見られるのだろう。その問いかけについて、先生は以下のように説明してくれた。
「人為的にお腹の調子が悪いニワトリをつくったところ、産卵率が98%から92%へと低下し、卵黄の重量が平常時と比べて10~15%ほど低下しました。さらに卵重量も5~6%ほど小さくなりました。以前、コクジウム症が発生した農場で産卵率は大きく変わらなかったものの、卵重量が減少し、重量ベースでの生産量が低下したという話を聞いたことがあります。この結果はまさにその状況に近いと考えられます」
いったいどうして卵は小さくなるのか? また、その背景にはどういうメカニズムが潜んでいるというのだろう。考えられる要因について、先生は次のような解説も添えてくれた。
「まず思いつくのは、〈①腸の消化吸収機能の低下〉です。腸内環境が悪化すると、腸絨毛が短縮し、栄養素の吸収能力が落ちます。そこで卵黄重量に影響があったと考えてもおかしくありません。そして、次に考えられるのが〈②肝機能の低下〉です。実は卵黄の元になる成分は肝臓で作られるのですが、腸内環境が悪化すると、腸から肝臓へ微生物の毒素が流入し、肝臓の炎症を引き起こします。その結果、卵黄重量に影響したのではないかと考えています。3つ目の要因は〈③卵胞発育の阻害〉ですね。ニワトリの卵胞体には卵黄前駆物質を取り込むための受容体が存在しているのですが、腸内環境が悪化したことで卵胞で炎症が起きて、この受容体が壊れてしまった可能性があります。その結果、卵黄サイズも小さくなったと考えればスッキリするのですが、残念ながら現段階では仮説に過ぎません。
さらにもう1つの可能性として、〈④脳の内分泌制御機構の異常〉も考えられます。腸脳相関はヒトでもよく知られていますが、特に腸の炎症反応は脳でストレス反応を引き起こし、このストレス応答が産卵機能を制御する性ホルモンの分泌を狂わせるといわれています。実験ではストレス下で高まるアルギニンパソトシン(AVT)とストレス応答で合成される副腎皮質刺激ホルモン(ACTH)の前駆体の遺伝子発現量が大幅に増加していました。また、同時に卵胞の発育を制御する性線刺激ホルモン放出ホルモン(GnRH)や卵胞刺激ホルモン(FSH)も大幅に増加していました。原因はわかっていませんが、卵胞発育が抑制されたことに対するフィードバックとして遺伝子発現が高まったのかもしれません。いずれにせよ腸内環境の悪化はストレスを誘起している可能性が高く、ホルモンの異常な動態も卵胞発育低下と関係がありそうです」
局所から複雑に絡み合うネットワークを読み解く研究へ。
前述の先生の説明からも明らかなように、腸内環境は免疫機能や栄養代謝、内分泌機能に影響する腸だけでなく、肝臓や生殖巣、さらには脳と、多方面にわたってニワトリの健康に影響しているのがよくわかる。これはウラを返せば、腸内環境を制御できれば、全身の健康をコントロールできるということである。このことを踏まえて研究の先にある未来について、先生は次のような話を披露してくれた。
「腸内環境が悪くなれば問題ですが、逆に良好な腸内環境を保てたなら、夢は大きく広がります。たとえば、どのような菌種が体の機能に関わるかが明らかになれば、ストレス耐性や肝機能、肉付き、産卵機能、免疫機能など、それぞれのニーズに合わせたオーダーメイドプロバイオティクスを効率よく開発できるようになります。場合によっては、ニワトリだけでなく、他の動物たちの病気治療に役立てられるかもしれません。また、卵の中にプロバイオティクスを移行させることで、病気に弱いふ化直後のヒナの免疫力をアップさせたり、人にも有効なプロバイオティクスを持つ最強の健康食品、「プロバイオ卵」だってつくれるかもしれません」
なんとも夢の膨らむ話だ。昨今、養鶏の現場では抗生剤を制限する動きや動物福祉の観点からのケージフリー飼育など、さまざまな変化が求められている。だが、一方でこうした環境変化はニワトリの健康を守るうえで生産者の頭を悩ます問題でもあった。しかし、近い将来、先生の言う「オーダーメイドプロバイオティクス」が実現できたなら、ニワトリのストレスや感染症の心配は軽減されるに違いない。生産現場の人々のためにも、先生の研究テーマは急務といえる問題だ。
最後に今後の研究の方向性について尋ねたところ、こんな答えが返ってきた。
「体の随所と絡み合う腸内環境をテーマにして改めて感じたことなのですが、たとえば特有の臓器の研究など局所にこだわらず、複雑に張り巡らされたネットワーク全体を見るような研究をしていきたいと考えています。おそらくこういうアプローチは興味があっても、かなり複雑で大変な作業となるため、なかなか踏み出せない領域だと思います。だからこそ、あえて挑戦する価値があると感じています。ときには足りない部分を他の専門分野の先生から情報を提供していただくなどして、少しずつ知見を広げていけたらいいですね。実は私自身も脳や臓器に関する本を引っ張り出して、もう一度勉強し直しているところです」
研究者の道のりは果てしないものだが、とにかくいま目の前にある研究に全力を注いできたという新居先生。これから研究の領域に踏み出す若い人たちたちにも背伸びをせず、目の前の研究の楽しさを大切にしてほしいという。「全力で取り組んだ結果はきっと自分の財産となるし、その姿を見ていてくれる人が必ずあなたを助けてくれるから」と。