絶滅危惧種を守りたい! その思いから生まれた「トビがタカを産む技術」。
小学生の頃、大干ばつと大震災の影響で、地元・神戸に生息していた絶滅危惧種ベッコウトンボが観察できなくなったことにショックを受けた中村先生。「現代版・ノアの方舟」ともいえる先生の研究はこの時の体験が色濃く影響している。その研究内容はひと言で説明すると、「動物を細胞レベルで保存する研究」なのだが、先生はより親しみやすい言葉を用いて「トビがタカを産む技術」と表現する。
「ベッコウトンボ」
「ほ乳類は受精卵の凍結保存が確立されていますが、そもそも卵生の生き物の受精卵はとても大きな卵黄が引っ付いているため、生かしたまま凍結することができません。そこで着目したのが「始原生殖細胞(胎内あるいは卵内で個体が発生するときに現れる最も未分化な生殖細胞)」です。始原生殖細胞を取り出し、凍結保存しておいて、移植することで他個体の生殖巣を借りて精子や卵を作らせるという方法を思いつきました。まさにトビがタカを産むような技術ですよね。ベースとなっている始原生殖細胞の移植法は30年ほど前に発表されたものですが、当初考案された技術ではタカが産まれる頻度はきわめて低く、実際にニワトリで検証したところ、頻度は10%以下でした。私の研究ではこの点を改善するべく、始原生殖細胞を取り出したり移植するために最適なタイミングを明らかにし、その培養や凍結保存をおこない、移植先の卵が元々持っている始原生殖細胞を除去して移植をおこないました。その結果、タカが産まれる頻度をほぼ100%まで高めることに成功し、始原生殖細胞を用いたニワトリ資源の保存方法を世界に先駆けて確立することができました」
この技術を用いれば、鳥インフルエンザ流行時に絶滅のリスクを分散することができ、ブランド鶏などの肉や卵の生産で重要な品種を半永久的に保存するなど、ニワトリ資源の保存事業への応用が可能となる。実際、広島大学では中村先生が開発した方法を用いて、学内で開発した新品種「広大鶏」や、天然記念物に指定されている日本固有品種の始原生殖細胞を有事に備えて凍結保存している。他にもたとえばライチョウなど、絶滅の危機に瀕している鳥たちの始原生殖細胞を凍結保存して、種を半永久的に保存するといったことも夢ではなくなる
「黒柏鶏」
予め決められたものではなく、確率的な幹細胞の運命。だからこそチャンスが潜んでいる。
次にもうひとつの「トビがタカを産む技術」だが、こちらは簡単に言うと、「他個体の精巣を借りて精子を作らせる」方法である。
この方法は1994年に米国の研究グループが発表した精子を作り続ける「精子幹細胞」を移植する方法がベースとなっているのだが、元々の研究では移植によって作られる精子の数が少ないため、自然交配はのぞめない点が問題とされていた。また、幹細胞が組織を再生する過程はほとんど謎に包まれていたため、精子幹細胞の移植効率を改善する手段やアイデアが見出せない状況が続いていた。
「従来の考え方では精巣の中に王様のような幹細胞がいて、これらは移植すると必ず生着して組織を再生すると考えられていました。しかし、このたびの研究で移植した精子幹細胞一つひとつの運命を追跡して数理モデルで解析したところ、精巣の中には幹細胞としての能力を持つ細胞がたくさん存在し、移植後にそれらが確率的(ランダム)な運命をたどることがわかりました。そして、生着した幹細胞の大部分が精子へと分化したり細胞死を起こすことで短期間のうちに消失し、自己複製したごく一部の幹細胞が組織を再生することがわかりました。精子幹細胞の運命がランダムであるならば、その運命は変えられるはず。移植効率をアップさせる戦略が提案できると確信しました」
では、具体的にどんな戦略を考案したのか、先生に尋ねてみた。
「そもそも精子幹細胞の分化は精巣の中で作られるレチノイン酸(ビタミンAの一種)が制御しています。レチノイン酸を浴びた精子幹細胞は不可逆的に分化して、もう二度と幹細胞には戻れません。実は移植に用いる生殖細胞が完全に除去された精巣の中でレチノイン酸が作られているとは誰も考えていなかったのですが、幹細胞の運命を追跡してみたところ、移植後に分化していることがわかりました。それならレチノイン酸の合成を一時的に抑制すれば、本来分化して消失していた幹細胞が自己複製して組織を再生してくれるのでは…と考えたわけです」
「レチノイン酸の合成を一時的に抑制する」という発想を支える背景にはWIN18,446(レチノイン酸合成阻害剤)という薬剤の存在がある。この薬剤は精巣だけで作用し、しかも投与を止めればレチノイン酸合成が再開する性質があり、マウスからヒトまで様々なほ乳類で作用するという。
実際、この薬剤を用いてマウスで実験したところ、移植された精子幹細胞による組織再生の効率が飛躍的に向上し、通常は妊性を回復できない少数の精子幹細胞を移植したマウスに、自然交配で産仔を得られる正常な繁殖能を回復させることに成功した。
ガン治療の副作用による不妊の問題。その治療にも一筋の希望の光が!
今後の展望として、中村先生はこれまでの研究成果がガン治療でダメージを受けた生殖機能の回復に応用できるのではないかと考えている。
「ガン治療後の代表的な副作用として、不妊症は深刻な問題となっています。成人の場合は治療前に精液を保存する方法がありますが、小児の場合はそれができない。それならガン治療前に精巣の細胞を採取しておいて、治療後に生殖機能を回復するような治療をするのに、我々の研究成果が応用できるかもしれないと考えています」
この他にも、これまでの研究成果は白血病の治療に応用できる可能性を秘めている、と先生は続けます。
「白血病は血液を作り続ける造血幹細胞のガンで、血液が正常に作られなくなる病気です。白血病の治療法である「骨髄移植」は、ガン化した造血幹細胞を一度全部除去して、健康な人の骨髄から取り出した造血幹細胞を移植します。すると健康な造血幹細胞が骨髄に生着して、血液が正常に作れられるようになるわけです。つまり骨髄移植の方法論は精子幹細胞の移植と同じなんですよ。
もし、造血幹細胞が精子幹細胞のようにランダムな運命をたどるのであれば、その運命を制御して組織再生の効率を改善できるかもしれません。移植後、血液が正常に作られるようになるまでは、免疫力が低下しているのでカビやウイルスに極めて感染しやすい状況であり、命を落とすケースも少なくありません。だからこそ、組織再生の効率を上げて、危険な期間を短くすることにはすごく意義がある。もちろん精子幹細胞のケースとはメカニズムが違うでしょうから、そんなに上手くいかないかもしれません。でも、可能性としては十分あると考えています」
南アルプスで出会った絶滅危惧種「ライチョウ」
季節によって羽の色が変化する(左:夏、右:春)
さまざまな可能性を秘めた中村先生の研究。遺伝資源は一度損失したら、再び取り戻すことができない。しかし、先生の開発した技術があれば、貴重な遺伝資源を半永久的に凍結保存することも可能だ。
「最近、ライチョウが100年以内に絶滅する可能性が極めて高いというショッキングな研究成果が発表されました。地球温暖化の影響で、ライチョウの生息に適した環境が消失するためです。このため、ライチョウの保護・増殖とその生息地の保全・回復は早急に取り組む必要があります。最近では、ライチョウの人工飼育の取り組みが進んでおり、一部では繁殖に成功しています。しかし、ライチョウの産卵数は、1年間でわずか2~8個と少ないため、増殖が困難な状況です。そこで、1年間で300個以上の卵を産むことができるニワトリに、ライチョウの卵を産ませることができれば、ライチョウの人工繁殖は大きく前進すると考えます。100年後の子供たちにも生きたライチョウの姿を見せることが、私の夢です。どちらもキジの仲間。実現の可能性はあると思っています」と語る中村先生。その夢が実現すれば、「トビがタカを産む技術」に世界中がきっと驚くことだろう。