生物流体の研究に数理科学的な視点から挑み、統合生命の理解を目指す。
飯間先生の専門は「生命流体数理学」という分野だ。これは、液体や気体の運動を解析する「流体力学」の関連分野のひとつであり、生物流体や環境としての流体、流体力学固有の問題などを扱う。
具体的な研究テーマは大きく次の2つの柱からなる。
1つは、「流体環境における生物の運動」。
特に先生が興味を持って長く取り組んでいる研究に、生物流体力学モデルの解析がある。多くの生物の環境は水や空気といった「流体」であり、生物はこうした流体環境を身体の運動によって制御している。そこで、昆虫や鳥の「飛翔」や、魚や微生物の「遊泳」について、どういった流体力学的機構が働いているのかを解明しようというものだ。また、生物流体には飛翔や遊泳などの「外部流」のほかに、生物内の血液や原形質流動などを指す「内部流」も含まれるため、血流や輸送の仕組みなども研究対象となる。
もう1つは、「流体力学における数理科学的解析手法の開発・応用」である。
幅広く応用できる流体力学には、いまだ多くの未解決な問題が残されている。粘性流体の運動方程式であるNavier-Stokes(ナヴィエ・ストークス)方程式もそのひとつで、19世紀に成立した歴史の長い方程式であるが、さまざまな困難性を持つことから、その解の性質は完全には分かっておらず、解析は簡単ではない。生物流体では、流れと生物運動が互いに影響し合う系を考えるので、問題がさらに複雑となる。そこで、こうした諸問題に対して、複雑に絡み合った現象を本質を踏まえながら単純化し、さまざまな数理解析手法を適用して、解決へと導こうとするものである。
実環境で生きる生物や生命を理解するためには「流体力学」が重要であると先生は言う。
「一番興味があるのは原理的なところなんです。昆虫飛翔をはじめとして、現実世界では複雑な境界や流れとの相互作用が大事な現象が多い。それを理解するために、流体力学や数学の知識を使って捉え直すことで、新しい見方ができ、理解が深まるのではないかと考えています」
複雑そうに見える現象から如何に数理的な本質を抜き出すかというのが研究の肝であるという。
昆虫飛翔の不思議の解明に挑む。複雑な飛翔機構に新しい計算アルゴリズムを開発。
では、先生の研究の中心となる「昆虫飛翔」に関する研究を少しだけ紹介しよう。
昆虫は空気という流体環境の中を、翼あるいは翅(はね=昆虫のはねを指す専門用語)を使って飛んでいる。昆虫は高度な飛行能を有しており、流体力学的に見ても、昆虫の飛翔は非常に効率が良いと言える。「飛行能」とは揚力増大と制御能を指す。この揚力増大のためには次の5つの空力機構が働いていることが知られている。
1.付加質量 2.遅延失速 3.回転循環 4.Clap&Fling 5.翼-後流相互作用
このうち、5の「翼-後流相互作用」についてはほとんど分かっていない。
その理由として、昆虫のはばたき飛行時には、翼運動が流れそのものを変えるために定量的に予測可能なモデル化が難しいことが挙げられる。先生は、この未解明の問題に挑み、そのモデル化を試みる。
「昆虫飛翔の機構は、流体とそれを駆動する翅との間の動的な強い非線形相互作用から成っています。翅の運動は周囲の流体を駆動する、つまり、力を伝えることで推進力を得る訳ですが、これには境界層の剥離に伴う高渦度領域(渦の強さの強い渦輪や渦管)の生成が伴います」
つまり、昆虫が飛ぶとき、その翼のまわりには渦が形成され、その渦が飛翔効率の向上に役立っているのだ。
「昆虫は渦を能動的に使って制御をおこないます。パッと急に向きを変えたり、ホバリングをすることもある。そんな制御能のことを『maneuver(マヌーバ=巧みな操縦)』と言います。渦の動きを明確にするため、数理的な単純化をおこなった上下対称なはばたきモデルを考えました。すると、はばたきを始めて2周期目以降にダイナミックな変化が起こって、そこから非対称な渦パターンが生じる、つまり、対称性が破れることが分かりました」
先生はこうした渦構造の遷移を解析・制御するマヌーバモデルの作成をおこない、新しい計算アルゴリズムを開発している。
生物流体研究会を主宰。いずれは広島大学を生物数学の拠点に。
先生はそのほか、「局在生物対流」についても研究している。単一鞭毛微生物であるミドリムシの懸濁液に下から光を当てると、「生物対流」と呼ばれるマクロな秩序パターンが形成される。そのパターンが局在構造を持つことに興味を持ち、流体力学モデルを作成して、基本構造の抽出や局在する機構について研究をおこなっている。
「これは広島大学に来てから始めた研究です。きっかけはミドリムシのパターン形成の研究者が広大にいらしたこと。私は流体力学の観点を取り入れて研究を始めました」
ミドリムシはある強度よりも弱い光に対して正の走光性、強い光に対して負の走光性を示す。そのため、ミドリムシ懸濁液に下から強い光をあてると、ミドリムシ個体は負の走光性を示して界面付近に集まるという。
「我々はミドリムシが光強度の勾配に応答して運動すると予想し、実験によって初めてそれを定量的に証明しました。光を避けて仲間の陰に隠れるように運動した結果、局在生物対流構造ができる。このとき、数理科学的な方法を取り入れて実験のデザインをおこなったことが評価されて、発表論文が注目論文として選ばれました」
2021年10月からは、「ジオラマ環境で覚醒する原生知能を定式化する細胞行動力学」という大型研究プロジェクトもスタートした。これは、微生物が環境に適応する高度な能力について解明しようというもの。先生の研究チームでは、「微生物の行動および環境とのクロストークアルゴリズムの解明」をテーマに取り組んでいく。
飯間先生は、2012年より主宰する「生物流体研究会」により国内外の研究者ネットワークを構築。2019年からは各種の「生物流体国際会議」も主宰し、多くの科学者たちの英知を集めて分野融合的な研究を進めようとしている。生命流体数理学研究室の学生たちも多方面で高い評価を受けており、今後も後身の育成とともに、流体力学からの統合生命の理解を目指すという。
「流体力学は生物や生命を理解するために欠かせないもの。環境としての役割を持つ一方で、数理解析の際の中間的なモデルともなります。統合生命の理解に向けて、流体力学の持つ力を役立てながら、生物数学を発展させることが研究の大きな目標です。そして、広島大学を生物数学の拠点としていきたいと思っています」