海洋大気中のエアロゾル粒子を観測、採取。地球環境に与える影響を調べる。
「エアロゾル」ということばがメディアで多用されるようになって久しい。ご存知のように、COVID-19の感染方法を語るときに使われて、広く知られるようになったことばであるが、医療用語ではないため、医師であっても詳細を知る人は多くないという。岩本先生は、そのエアロゾルの研究を長く続けてきた専門家だ。
改めて、エアロゾルについて解説しよう。エアロゾル粒子とは、大気中に浮遊している埃や塵などに含まれる微粒子のことだ。生成過程によって、粉じんやばいじんなどさまざまな名称で呼ばれる。
「エアロゾルは、実は私たちの生活に密接に関わる存在で、いろいろな種類があります。例えば、PM2.5は直径2.5㎛以下のエアロゾル粒子のことですし、たばこの煙や花粉、ウイルスなどもエアロゾル粒子の一種です」と岩本先生。
こうしたエアロゾル粒子の影響で大気汚染が起こったり、ぜんそくや気管支炎など呼吸器への健康被害が引き起こされたりすることが分かっており、古くから議論の対象になってきた。近年は、地球温暖化やオゾン層破壊といった地球環境問題への関連が指摘され、その役割の解明が急がれている。
先生が特に興味を持っているのは、『海洋大気』という、海洋の上空部分の大気におけるエアロゾル粒子で、それらが気候や物質循環に与える影響について研究している。
なぜ海洋大気なのか―――。それは、「海と大気には密接な関係があるため」と先生は言う。
「海は地球の表面積の約7割を占めていて、例えば海中の植物プランクトンは大気中から二酸化炭素を取り込んでいます。地球環境問題を考えるならば、海と大気の相互作用を考えていく必要があるんです。地球環境問題を考える上で、海洋大気中のエアロゾルの役割を知ることも重要です」
先生はなかでも、窒素やリン、鉄といった生物に必須な元素を含むエアロゾル粒子が海洋に沈着した場合に、海洋生態系に与えるインパクトはどういったものなのか、ということに注目しているという。
地球温暖化防止にも役立つエアロゾル。数値モデル等の活用でその影響を探る。
先生は、観測データの少なさをカバーするため、積極的に国内外の海へと調査に出かけている。外洋での調査には大型研究船を利用。これまでに北極海やインド洋などに出かけたことがあり、ひと月からひと月半ほどの間、30~40人ほどの研究者たちと船の上で共同生活を送りながらの調査になるという。
「船上では、大気をフィルターにかけてエアロゾルを捕集する『大気観測』をおこないます。海水の成分やプランクトンなどのさまざまな研究者たちがいる中で、大気の研究者は少数派。一緒に大きな重機を使って観測をおこなうので、交流を図る中で新しい情報を得たりもできるんですよ」と先生。
外洋での観測機会は貴重で、得られるデータも大変貴重なもの。しかし、観測が叶うのは航路上のものに限られる。これを補うのが、数値モデルの専門家や観測衛星を活用したリモートセンシングの研究者たちとのコラボレーションだ。例えば、大気中から海洋へと物がどのぐらい輸送されているのかといったような広範囲のインパクトを見積もる際には、こうした先進技術が大いに強みを発揮するという。
また、エアロゾルを捕集するサンプラーは、広島大学総合科学部A棟屋上にも設置されている。
「ここでは、雲になれるエアロゾル粒子がどのぐらいあるかといったことを調べています。雲ができるには必ずエアロゾルが必要なんですね。エアロゾル粒子が核になって雲ができる。雲は白いので太陽の光を反射して地球を冷やし雨を降らす。エアロゾルはそういった水循環にも影響を与えたりするんですよ」
悪い影響ばかりが取り沙汰されがちなエアロゾルだが、こうした気候への影響など、良い影響についても分かってきている。
「前述のように、大気中のエアロゾルは太陽光を散乱・吸収する性質があるため、地上に届く太陽光を減少させます。さらに、海に落ちるエアロゾル粒子は、大気中の二酸化炭素を取り込んで光合成をおこなう植物プランクトンの生存を支えているという側面もあるんです」
植物プランクトンが育つには窒素やリン、鉄などの栄養素が必要だが、海にある栄養素には限りがある一方で、大気中のエアロゾルには窒素やリン、鉄などを豊富に含むものがある。エアロゾル粒子が海に落ちることで、植物プランクトンが育ち、光合成により二酸化炭素の吸収が促進されるという構図である。先生は、こうした物質循環の定量的な分析にも挑んでいる。
「普段行けないようなところに行けることが研究のおもしろさのひとつ」と笑う岩本先生。外洋でのサンプリングのほか、国内では森林や半島の先端、富士山頂の測候所や東京スカイツリーの上などでも観測したことがあるそうだ。今後は、外洋での観測を続けていくとともに、広島大学ならではの研究として、身近な瀬戸内海での観測モニタリング体制の構築にも意欲を見せる。広島大学生物生産学部附属練習船『豊潮丸』は頼もしい味方だ。
瀬戸内海域の栄養循環への影響など、「国連海洋科学の10年」にも資する研究を。
「瀬戸内海はこの30年ほどで河川からの栄養分流入量が激減して栄養分濃度が低下。食物連鎖の底辺を支えている植物プランクトンの生産力が落ちていると言われていて、その影響で漁獲量が落ちているのかもしれません。瀬戸内海域における栄養循環に関する研究に、これまで考えられていなかった『大気の視点』を導入していきたいと考えています」
もうひとつの近い目標として掲げるのは、2021年からスタートした『国連海洋科学の10年(UN Ocean Decade)』※を意識した活動だ。 「『国連海洋科学の10年』によって、社会全体の『持続可能な海』に対する注目度が急上昇すると予想されます。私もこれに応えられるよう、社会に還元できるような研究成果を出したいと思っています」
- ※『国連海洋科学の10年』:2017年12月、国連総会において、2021年から2030年までを「持続可能な開発のための国連海洋科学の10年」とすることが決議された。これにより、持続可能な開発目標(SDG14「海の豊かさを守ろう」等)を達成するため、海洋科学の推進に向けた取り組みが集中的におこなわれる。
「この研究では、スナップショット的な観測データから普遍的な事象を見出す作業が必要で、想像していた結果と異なる結果が得られたときに、その原因を考えるプロセスがおもしろい。最初は苦しいけれど、少しずつ分かってくると楽しくなってきます」と研究の醍醐味を語る岩本先生は、エアロゾルという小さな研究対象が持つ意味の大きさを、より多くのひとに知って欲しいと願っている。