ギボシムシの「分子発生生物学的」研究を世界で初めて開始し、半索動物で初めてゲノム解読に成功。
田川先生の専門は発生生物学。海の珍しい動物群を研究対象として、系統学的な進化を探る研究に取り組んでいる。代表的な研究対象は『ギボシムシ』という半索動物。世界で初めてとなるギボシムシ研究のスタートは先生がカリフォルニアに派遣されていた大学院生の頃。発生に関わる遺伝子の単離・解析に成功し、左右相称動物の口や肛門で共通に発現する新規の遺伝子発現パターンの解明などの成果を重ねたのち、2015年にはついにそのゲノム解読に成功する。先生は、研究対象の発生・進化・再生に関するさまざまな要素を他の動物と比較解析することで、『動物進化の仕組み』を明らかにすることを目指している。
地球上の動物は現在30数門あり、そのほとんどが左右相称動物に分類され、そのうちの半索動物門は、ヒトが属する脊索動物門やウニ・ナマコなどの棘皮動物門と同じ新口動物群に分類される。
「ギボシムシはゴカイやミミズのような姿で、前端のところがお寺や橋の欄干の装飾物である擬宝珠(ぎぼし)に似ていることからこの名がつきました。『半索(半分脊索)動物』とされているのは、実はその体のつくりに脊索動物と非常に似た部分があるからなんです」と先生。注目すべきは、ストモコード(口索・口盲管)と呼ばれる器官だ。
体に口と肛門という2つの開口部を持ち、その間に一方向性の腸が存在する、つまり、口から餌を食べて肛門から排泄するというのが、左右相称動物の進化の過程で獲得された重要な特徴であると考えられている。(これに対して、左右相称動物以前の動物であるクラゲなどの刺胞動物では,体の開口部は一つであり,そこが口と肛門として機能する。)ストモコードは、脊索動物の前方咽頭から派生した器官と進化的関係があると示唆されており、先生の研究グループでは、前述のゲノム解読によって、脊索動物の特徴とされてきた鰓(エラ)の起源が、新口動物の共通祖先ですでに獲得されていたことを明らかにした。
「ギボシムシについて我々は、進化を考えるうえで重要なミッシング・リンクになると考えています。今後もギボシムシの研究から、脊索動物への進化の過程を解明していきたい」と意気込む。
また、ギボシムシは再生能力の高さでも注目されている。「ギボシムシは体を半分にしても、失った部分を再生する形で元通りになるんです。それに対して、我々ヒトは再生能力が限定されている。その要因がどこにあるのか、今後もその再生機構の解明に挑んでいきたい」と語る先生は、再生芽で特異的に発現する遺伝子や、細胞の初期化に関わる遺伝子の解析を中心に研究を続けており、2011年には日本動物学会論文賞および藤井賞を受賞。半索動物の再生と発生を研究するうえで大変意義深い研究資料と評価されている。
珍無腸動物門ナイカイムチョウウズムシのゲノム配列を公表。モデル生物としての活用も。
田川先生は現在、統合生命科学研究科附属臨海実験所に在籍し、所長を務めている。この実験所は、旧制広島文理科大学附属臨海実験所として昭和8年に現在の尾道市向島町に開所した歴史ある実験所だ。先生はこの実験所近くの海で、もうひとつの研究対象である『無腸動物ムチョウウズムシ』を採取し、また別の切り口から、発生と進化の謎の解明に取り組んでいる。
「無腸動物は珍無腸動物門に含まれ、遡ると、左右対称動物の基部に位置すると考えられる動物です。この臨海実験所周辺では、珍無腸動物門の一種である『ナイカイムチョウウズムシ』が容易に採取できるんですよ。そこで、学生さん達と一緒に採取に出かけては、モデル生物としての確立も視野に、さまざまな研究を進めています」
ナイカイムチョウウズムシに関する研究で田川先生は、この種で初めて分子生物学的解析を開始しており、2019年には、そのゲノム配列を解読して公表。この分野の研究に寄与したとして、2020年にはこれも日本動物学会論文賞および藤井賞を受賞している。
ゲノム編集技術によって新たに何かを作り出す実験で、進化の仕組みを証明したい。
発生や進化の謎に迫ろうとしている田川先生が今後目指しているのは、門レベルでの進化の謎の解明だ。研究の根底には、ヒトはどのようにして生まれ、どのようにして進化してきたのかということへの興味があるという。そして、「ギボシムシやムチョウウズムシといった世間であまり認知されていない動物を使うこと自体がおもしろい」とも。
「発生や再生について調べていくことで、進化の仕組みを少しでも解明することに繋がればと思います。ゲノムに関する情報が蓄積されてきて、共通性はよく理解されるようになってきましたが、それでもまだ分からないことはたくさんあります。例えば、脊索のない動物の卵から脊索のある動物が発生することはない。それはなぜなのか。そんなことを理解したいですね」
さらには、「ギボシムシやムチョウウズムシも、例えば高校の生物学の教科書に載るようになるなど、進化の上で重要な位置にあるとされているホヤやナメクジウオなどと同様に、重要な動物であることが認識されていけばうれしい」と語る。
また写真左と中は、瀬戸内海の生物相に関する当臨海実験所の出版物。
今後の研究は、ブラックボックスを遡って考えるのではなく、新たに何かを作ることによって進化を証明するという手法を取りたいとのこと。それを可能にするのは身近になってきたゲノム編集技術だ。
「例えば、ある動物門で新たに獲得されたと考えられる形質について、それを持たない動物に対するゲノム編集によって、それを持った動物を作り出すというようなことができないか。具体的なやり方を見つけ出すのはまだこれからですが、しっかり準備をして、諦めずに最後までやり通したいと思います」
「なによりも、海の生き物は多様で不思議でおもしろいことを知ってもらいたい」という田川先生。発生生物学の秘めたる可能性についても、広く認知されることを願っている。