アレルギーの撲滅を目指したテーラーメイドワクチンの開発へ。
河本先生が取り組む研究分野は“我々の健康を守るバイオテクノロジー”である。その内容は大きく分けて3つの柱からなる。1つは「アレルギー」、2つめは「食品」、3つめは「免疫」だ。
まず「アレルギー」について。
スギ花粉症をはじめ、ダニが原因となる鼻炎や気管支喘息、アトピー性皮膚炎などのアレルギー疾患は、いまや日本国民の2人に1人が罹患していると言われている。これらに着目した河本先生の研究グループでは特に、スギ花粉症とダニアレルギーそれぞれのアレルゲン(アレルギー症状を引き起こす原因物質)について詳しく調べ、その全容の解明に成功。国内では唯一、世界でも有数と言えるアレルゲンライブラリーを整備している。
「我々が調べると、同じダニのアレルギーでも、ヒトによって反応する原因アレルゲンがどうも違うらしいということが分かりました。現行の治療法のひとつに舌下免疫療法(※1)がありますが、その際に使用されるワクチンエキスに例えばAというアレルゲンが含まれていたとして、それには反応せずBというアレルゲンに反応するヒトがこれを服用しても治らないんです。そこで、何に反応するかを確認して、ヒトによって飲んでもらうワクチン分子を変える、そういうやり方がいいのではないか。実は世界の研究の潮流はそういうところまできています」と先生。
こうした個体ごとに異なる原因アレルゲンを特定することによって、テーラーメイド医療への道が拓けてくると先生は言う。
「患者さんごとに原因アレルゲンを特定できれば、それに応じた薬の開発や投与をすることが可能になります。そんな風に、患者さんごとに最適な医療を提供するのが『テーラーメイド医療』と呼ばれるもの。私たちはその中のひとつの方法として、アレルギーのテーラーメイドワクチンの開発を目指しています」
- ※1:舌下免疫療法:アレルゲンが配合された治療薬を舌の下にしばらく含んでから飲み込み、毎日少しずつ免疫をつくっていくというアレルゲン免疫療法の一種
先生の研究グループでは、独自のアレルゲンライブラリーを基に、原因アレルゲンを個別診断できる『次世代型のアレルギー分子診断システム』のほか、全く新しいタイプのワクチン開発研究も進めている。
「例えば、スギ花粉には100以上ものアレルゲン成分が存在します。アレルゲンは私たちの体の中に入ると、IgE抗体(※2)と結合してアレルギー症状を引き起こすんですが、アレルゲンはタンパク質なので、遺伝子でコードされているわけですね。そこで、私たちはスギ花粉アレルゲンの遺伝子を搭載した乳酸菌を作出し、それをあらかじめ飲んでおけばスギ花粉症を予防できることを動物実験で確かめました。身近な発酵微生物を応用した食べる花粉症ワクチン、というわけです」
- ※2:IgE抗体:ダニや花粉などのアレルゲンに反応し、アレルギー反応を引き起こす抗体
「食」が切り拓く未病の予防医学。「免疫」を抑える新抗体も発見。
アレルギー研究はさらに、食品開発へとつながっていく。
「研究分野としては生物工学ですので、ものづくりへの応用を常に見据えているというところが特徴的なんです。そこで、アレルギーのワクチンを考えた際にも、注射や薬とは別に、安心して経口摂取できるような食品の形態に何か学べないかと思ったわけです」
これが2つめの柱となる「食」の研究だ。先生の研究グループでは、日頃の食生活を通じて病気を防ぐことを目指す「機能性食品」の開発も進めている。
研究の一例は次のようなものだ。
「赤シソは梅干しの色付けやふりかけなど私たちになじみ深い食品素材ですが、実は漢方にも処方される薬用ハーブとしての顔も持っています。そこで私たちは赤シソを5%含んだエサをアトピー性皮膚炎のモデルマウスに自由に食べさせる実験をしました。するとアトピー病態の進展が劇的に抑制されることがわかったのです。この赤シソ効果をもたらす新たな抗アレルギー化合物をつきとめて作用メカニズムを調べたところ、なんとこの物質がガン化に重要な分子に作用してアレルギー反応を抑えていることが判明しました。アレルギーからガンへ!
全く予想外の展開でしたが、この赤シソ化合物、我々の体に備わったガン抑制遺伝子のスイッチをオンにして優れた制ガン作用を示すこともわかりつつあります。これらの研究は企業さんとの共同研究で進められています。シューカツでの企業インターンシップとは比べ物にならない研究開発の最前線を体験できる。卒業生たちも即戦力の研究技術者として各業界で頑張ってますよ」
同様のコンセプトで、病気を防ぐような食品ができないか。食品研究の可能性について、河本先生は次のように語る。
「恐らく今世紀の途中ぐらいからは高齢者が大半になるので、全員が病院に行ってる場合じゃないというような世の中が確実に来るだろうと予測しています。そうなると、いまの保険制度も破綻してしまうかもしれませんから、病院に行かずに済む世の中というのが必要になるのではないかと思います。そこで重要になるのが食ですね。病気をうまく防ぐような食品成分を探して、食品で病気を予防するということが実現できないかという研究をしています」
こうした研究は、アレルギーのみならず、がんや認知症など、年齢が進むとかかってしまうような病気も対象に含まれており、それらを予防できるような食品の開発も展望として描かれているという。
そして、もう1つの研究が「免疫」だ。
「新型コロナの流行で、免疫やワクチン開発なども話題になっていますね。ワクチンというのは、人体に備わっている免疫機構を利用した防御法です。ワクチンが体内に入ると、Y字型の形をした抗体というタンパク質ができてウイルスを捕捉したり、ウイルスに感染してやっつけられつつある細胞を白血球がたたいたりといった感染防御が起こります。こうしたシステムのなかで我々は、抗体が自分の白血球に反応して過剰な炎症を鎮めるブレーキの役割を果たしているということを見つけました」と先生。
先生の研究グループが発見したこの『制御性抗体』は、サイトカインストームという免疫の暴走を基調とするような病気を抑えるという。
「例えば、劇症肝炎やARDS(急性呼吸窮迫症候群)といった治療法がないような重症疾患に対して、我々が見つけた抗体が効果を示すことを実証しています」
先生のところではARDSのモデルにも免疫抑制抗体の投与を試したという。
「いわば新型コロナで重症化した場合の終末像を再現したようなモデルマウスを作ることができます。誘導後1日以内に全部死んでしまうというような病状です。しかしそこにこの抗体を投与しておくと、高い生存率をキープできました」と先生。驚きの結果からは、行き過ぎた免疫の働きにブレーキをかけるという役割が大いに期待できるという。
「実は、この抗体がどうやって効いているのかということは、まだあまりよく分かっていません。それがはっきり分かってくると、いろいろな病気を抑えていくことに役立つのではないかと考えています。高齢者が苦しむ慢性炎症疾患は行きすぎた免疫応答が原因ですから、適用の範囲も広がってくると思いますね」
健康長寿研究拠点を通して海外との共同研究も。結果に真摯に向き合うのが信条。
先生の研究紹介に欠かせないのが、広島大学の研究拠点のひとつ『広島大学健康長寿研究拠点(HiHA)』の拠点リーダーとしての活動だ。HiHAは世界トップレベルの研究活動を展開できるインキュベーション研究拠点として、平成25年に広島大学から選定されたもの。現在は広島大学を代表する自立型研究拠点の一翼を担い、「分子と生命」、「医学と食」の2つのテーマで研究を推進している。
「この拠点の中心的な役割を果たしているのが、生物工学プログラムの健康バイオテクノロジーグループの先生方なんです。そこに、医系科学の先生方をはじめとした学内の生命系の先生方に加わっていただいて、一緒にさまざまな研究をおこなっています」と河本先生。
さらにこの拠点の特徴は、国内の他大学はもとより、海外との共同研究を主体としていることにあるとのこと。河本先生自身も、アメリカのハーバード大学医学部と長らく共同研究をしており、続いて他の先生方も定期的に留学するなど国際協力が続いている。
「単に寿命を延ばすばかりではなく、健康な状態で長く生きて、寿命が来たらすっと自然に大往生していく(=天寿を全うする)というのが理想だろうと思うんですよね。しかし現状では、人生最後の10年ぐらいは非常にシビアで介護も必要になって大変という方が多い。そこで、いかに健康な状態を長く保つか、そうしたところをこの拠点では課題として考える必要があると思っています。我々の研究の、毎日の食を通じて心身の健やかさを保ち、病院に行かなくてもすむように、というのはまさにそうした『健康長寿』を目指すものです」
また、先生は研究に際して、『出てきた結果を素直に観る』ということを大事にしているのだそう。
「実験などは予想を立てて、こうなるはずだと思ってやるわけですけど、失敗することも多いですし、よく分からない結果が出ることもある。そんな時、失敗だなってポイッと捨てるんじゃなくて、そこを捨てずに、一生懸命観察することが重要だという気がします。その原因を突き詰めていくと、とんでもない発見があるかもしれない。先入観にとらわれず、目の前で起こったことを真摯に見つめて向き合う。そういうことから意外と新しいことが始まったりします」と先生。
実際に、前述の抗体の発見も、実はある物質の性質を調べるための追試を依頼されておこなった際に、元の実験の間違いが判明したことがきっかけだったという。「じゃあ、何か未知のものがあるんだろうと探しにいってみたら、新しい展開があったんです。やはり、自分の眼を信じて向き合うことが大切ですね」
大学では食品をつくるための化学工学を、大学院では動物細胞工学と抗体工学を学び、ハーバード大学では免疫アレルギー研究の先生のもとで研究を続けたという河本先生。学びと人脈を広げていった結果、さまざまなつながりの中で最先端の研究に携わっているが、どうしてこうした歩みとなったのかは自分でもよく分からないのだという。
「いずれも、いまの研究につながっているというのは確かですね。ですから、いまどんな勉強をしている学生さんでも結構です。将来、薬の会社や食品の会社に進みたいという方はぜひ門を叩いてください。我々のところでは、研究対象はすごく分かりやすくて、人の役に立つ分野の研究が基礎から応用まで全部経験できます。ものづくりを志向するバイオテクノロジーを、着実な基礎研究の成果を基に、自然と応用へと広げていくといったおもしろい経験を積める場所だと思います」