脂質の合成と輸送の分子機構および細胞機能の解明に挑む。特に『セラミド』に注目。
分子生物学を専門とする船戸先生の研究グループでは、生体膜を構成する「脂質」に着目し、脂質に関するさまざまな研究をおこなっている。研究の全体像はこうだ。
「私たちは、生体膜を構成する脂質がどのように合成、輸送され維持されているのかを分子レベルで解明したいと考えています。また、脂質変動を細胞がどのように感知し、それによって細胞機能がどのように制御されているかについても明らかにしたい。さらに、これらの基礎研究を基盤として、酵母を用いた新たなバイオテクノロジーへの応用、例えば医薬品や美容食品素材として利用できる脂質の大量生産システムの開発を目指しています」
先生によれば、ゲノム解読が終わったあと、世の中の研究対象は、「遺伝子;ゲノム」から「タンパク質;ポストゲノム」へ移行しており、脂質を扱う研究は、さらにその先の「次世代ポストゲノム」あるいは「生物学の最後のフロンティア」と呼ばれる領域である。
「脂質は単に生体膜を構成する分子ではなく、それ自体がシグナル伝達分子として、あるいはシグナル伝達のプラットフォームとして、細胞のさまざまな生命現象に深く関わっています。したがって、脂質の研究は、まだ誰も知らない新しい細胞の仕組みや現象の発見につながるものと期待できます」
また、これらの研究には「酵母」がモデル生物として使われるが、それは次のような理由からだ。
酵母は単細胞生物であるが、真核生物である。見た目はヒトとは大変異なるが、酵母細胞内での生命現象の多くはヒトと同じである。ゆえに、“生命現象の基本的な分子機構は酵母からヒトにまで保存されている”ため、酵母を材料として研究することで、“生物がもつ基本的原理、つまり普遍的な仕組みの発見につながる”と言える。さらに酵母は、安く早く簡単に安定して培養でき、容易にゲノムを改変できるなど、分子生物学研究のモデル生物として、非常に優れた特徴を備えていることも理由として挙げられる。
船戸先生が脂質の中でも特に注目しているのが「セラミド」だ。「セラミド」は複合スフィンゴ脂質の前駆体で、生体の機能に欠かせない脂質のひとつである。細胞内にセラミドが過剰に蓄積するとアポトーシス(=細胞の自然死)が誘導されることから、セラミドはしばしば「細胞死のメッセンジャー」と呼ばれるが、細胞の外、例えば私たちの皮膚の角質細胞の細胞間脂質層にもセラミドは含まれており、そこではセラミドは水分保持機能や外部刺激からのバリア機能を持ち、皮膚の機能維持に重要な役割を果たしている。
「セラミドの量が少なくなると、肌に潤いがなくなったり、アトピー性皮膚炎などが起こると言われていて、セラミドの入った治療薬や美容化粧品などが多数市販されています。しかし、動植物に含まれるセラミドは微量で、抽出・精製も困難なので、素材としての市場価格は非常に高いのが現状なんです」と先生。研究の応用展開として、脂質の大量生産システムの開発を目指すのはこのためだ。
脂質輸送の研究では世界初の発見も。約20年の継続によりさらなる成果。
そもそも薬学部出身の先生を脂質研究へと向かわせたのは、脂質から成るリポソームを使った研究がきっかけだった。
「薬学部の大学院時代に、薬を選択的に患部に到達させるということを目指した研究をやっていましてね。脂質から成る人工膜、人工リポソームに薬を入れて体内に投与する際に、リポソームの表面にがんに特異的に向かうようなものをつけて送ると、他の臓器に行かないから副作用が起こらないというような。ただ、細胞の中に入っても、細胞の中で薬がターゲットの分子に到達して、そこで効かないとダメなんですよね。細胞の中でも他のところに行ってしまったらダメ。そこで、細胞の中で物質がどのように動くかというのが分からなければ意味がないだろうと思いまして。細胞の中でどういったことが起こってるんだ、ものはどういう風に動くんだということに当時、すごく興味がわいてきたんですよ。細胞の中での研究をしたい、ということで、博士を取ったあと、日本学術振興会の海外特別研究員として、アメリカのセントルイス・ワシントン大学に行きました」
そこで船戸先生は、1983年にエクソソーム(※1)を発見したPhilip D. Stahl博士のもとで、細胞内に取り込まれた物質のリソソーム(細胞内消化器官)への輸送について研鑽を積んだ。
それから2年後には、新たな研究を求めて、スイスのバーゼル大学(のちにジュネーブ大学所属)に留学し、Howard Riezman博士に師事。ここではさらに、細胞内における脂質の輸送について研鑽を積んだという。
後列左端が船戸先生、前列左端がHoward Riezman博士
「Howard Riezman博士は酵母のエンドサイトーシス(※2)研究のパイオニアで、酵母でエンドサイトーシスが起こることを発見し、エンドサイトーシスに必要な遺伝子を酵母遺伝学を用いて多数同定しました。私が留学した当時の研究では、エンドソートーシスの分子機構の解明のほかに、小胞体におけるタンパク質の選別輸送の研究も進められていましたね」
- ※1:エクソソームは、細胞間で分子を輸送することによって細胞間コミュニケーションに重要な役割を果たしていると考えられており、近年、バイオマーカーや治療法としてのエクソソームの臨床応用に大きな期待が寄せられている。
- ※2:エンドサイトーシスとは、細胞が細胞外の物質を取り込む過程の1つ。
かの地で船戸先生がおこなった脂質の輸送の研究は、それまで誰も行っていなかった新しいテーマであり、その成果として、2001年には、出芽酵母において小胞体で合成したセラミドがゴルジ体へ運ばれること、そして、その輸送には小胞体膜からできる小さな小胞(※3)を介した経路と、小胞体とゴルジ体が接触する膜コンタクトサイトを介した2つの経路があることを世界で初めて明らかにすることとなる(J Cell Biol. 2001)。
- ※3:COPII小胞と呼ばれるもので、2013年のノーベル医学生理学賞を受賞したRandy W. Schekmanが発見した。
この研究は帰国後も続けられ、小胞を介した経路にはオキシステロール結合タンパク質が関与していること(J Cell Sci. 2014)、さらに、その輸送がグリコシルホスファチジルイノシトール (glycosylphosphatidylinositol、略称: GPI) アンカータンパク質の輸送と連動していることなどを明らかにした(Mol Biol Cell. 2008; Sci Adv. 2020)。
一方、小胞を介さず膜コンタクトサイトを介した経路には、最近、脂質結合ドメインと膜接触の形成に関わるドメインを持ったトリカルビンと呼ばれるタンパク質が関与していることを新たに発見し、膜コンタクトサイトのセラミドの輸送における重要性を分子レベルで明らかにすることにも成功する(iScience. 2020, Tricalbins are required for nonvesicular ceramide transport at ER-Golgi contacts and modulate lipid droplet biogenesis)。
「こうした成果は、私が2001年からずっと探し求めてきたことのひとつです。約20年の月日を以ってようやく成果を発表することができました」と先生はその喜びを語った。
応用展開でも新手法を発見。研究は永遠に続くワクワクをくれる。
さらに先生のグループでは、医薬品や美容化粧品の素材として利用可能なヒト型タイプのセラミドを出芽酵母で生産するシステムの開発にも成功している(Sci Rep. 2015, Producing human ceramide-NS by metabolic engineering using yeast Saccharomyces cerevisiae.; 酵母菌・麹菌・乳酸菌の産業応用展開、シーエムシー出版)。「出芽酵母は、ヒトや哺乳動物細胞で見られるスフィンゴシンを骨格に持つセラミドを合成しない代わりに、スフィンゴシンの炭素4位に水酸基が導入されたフィトスフィンゴシンから成るフィトセラミドを作ります。そこで、フィトスフィンゴシンを合成する酵母の遺伝子を代謝工学的に改変し、スフィンゴシンを合成するヒトのスフィンゴイドΔ4デサチュラーゼ(DES)遺伝子を導入し、その発現している場所をコントロールすることで、ヒトの皮膚に存在するセラミドNSを高効率的に生産する方法を見出しました」
いまだ量産への課題が残されているが、今後もこうした応用研究に継続して取り組んでいく。
このように、基礎と応用の両面から研究を進める船戸先生だが、いずれの研究もその目標は、『教科書に載るような、次世代をリードできるような発見』、すなわち、『生物がもつ、誰も知らない、普遍的な仕組みを発見すること』であるという。
「酵母研究にはまだまだ取り組むべき挑戦的な課題が山積しています。教科書にまだ記載されていないオルガネラ(※4)間の膜コンタクトサイトの分野はその一つであり、その多様な役割が明らかにされ、今後大きく進展していく先駆的な分野であると言えます。最近、我々は、脂質のオルガネラ間輸送に膜コンタクトサイトが重要な役割を果たしていることを明らかにしましたが、膜コンタクトサイトが、オルガネラの形態維持にも重要であることを見出しています。酵母を用いたこれまでの研究は、他の生物ではそれまで全くわかっていなかった学問分野の先導役をつとめ、生命科学における新しい概念の確立に貢献してきました。今後もその役割は続くと思われ、我々は、酵母を用いて先駆的な研究を行うことで、その一役を担えればと考えています」
- ※4:オルガネラとは、細胞小器官とも呼ばれ、細胞内で一定の機能を果たす構造体の総称。核、ミトコンドリア、ゴルジ体、小胞体、リソソームなど。
また、研究の醍醐味については、「世の中で誰も知らないことを、自分が最初に知ってしまうということだと思いますね。研究には、宝探しに似たワクワクくする楽しさがあります。誰も知らないことを明らかにすると、誰も知らない更なる謎を見つけることができる。そして、また、仮説を立てて、調べて、誰も知らないことを最初に発見する。永遠と続くワクワク感を感じられるんです」と語る。
研究者としての今後を尋ねると、「脂質の細胞内の量や輸送、局在の場所などを、将来我々が自在にコントロールでき、人類にとって有用な脂質を大量に生産するシステムなど応用展開できるように、その基礎的な知見をより多く発見したい」と先生。それは、前述のような「将来、教科書に載るような重大な発見」であるとともに、『生物学の分野における新たなパラダイムを発信できるような成果』であるに違いない。
研究に際して心掛けていることは、『流行にのらないこと』であるという。
「いま流行になっている重要な領域の研究をするのではなく、10年あるいは20年先に注目されてくるような研究に取り組むことがなにより大事ですね。海外のビッグな強い研究グループと競うためにはこの方法しかない」と断言。さらには、『他のラボでは簡単に解析できないような独自の解析技術を持ち、維持すること』や『独自の探索によって得られた遺伝子(他の研究グループがまだ想像していないこと)を研究対象にすること』も重要だと語る船戸先生。
「研究はエキサイトする大きな謎解きです。課題をひとつずつ明らかにし、脂質生物学の進展に貢献していきたいですね」