広島大学大学院 統合生命科学研究科
カバー写真:教員インタビュー 研究を語る 植物分類・生態学研究室 山口富美夫教授

コケ植物の分類学・植物地理学的な研究

  • 蘚類シラガゴケ科の系統分類学的研究
  • 各地の蘚苔類フロラの解明
  • 新種の記載、新産種の報告、モノグラフの作成、分子系統地理学的解析
  • 基礎生物学プログラム

国内唯一のコケ専門の研究室。「広島大学植物標本庫」が研究のベースに。

広島大学には、「広島大学植物標本庫(HIRO)」という標本庫がある。その中心を成すのがコケ植物を集めた「蘚苔類コレクション」だ。ここには現在、およそ60万点以上の標本が収蔵されており、国内では国立科学博物館に次ぐ規模、大学ではトップの収蔵数を誇る。この標本庫は、本学の歴代の教授を始めとする多くの研究者が戦前から収集したものを母体として、収蔵数は年々増えており、他にはないもの、あるいは絶滅してしまったものなど、希少性のある標本を収めている点でも、非常に価値のある標本庫と言える。

これほどの規模と歴史を誇る標本庫を備えた研究拠点は、国内では唯一無二の存在であることから、同研究室は常に独自の研究成果を挙げてきた。

現在、この研究室を率いる山口先生は、「うちの研究室ができたのは1929年。もう90年にもなりますが、その当時からコケ様植物の研究が始まっています。以来、日本でコケ研究の第一人者と言えばほとんどが広島大学出身者であり、国内の大学でコケ専門の研究室というのは広島大学だけなんです」と胸を張る。

山口教授
苔の図鑑

山口先生は、この標本庫を管理しながら、コケ植物の研究を進めている。「標本庫の維持・管理、キュレーションというのが、ぼく達の仕事の重要な部分を占めています。ぼく自身の研究にとってはもちろんのこと、他の研究者や若い研究者のためにも必要なことですね」と先生。事実、他大学等からの問い合わせも多く寄せられ、標本と標本を交換する形で希望の標本を提供することも少なくないという。

先生の研究の中心となるのは、『コケ植物の分類学・植物地理学的研究』。特に『蘚類シラガゴケ科の系統分類学』や『各地の蘚苔類フロラの解明』を専門としている。研究の最終的な目標は、「世界中のコケの分類学的な実態を明らかにすること。そして、コケの種と種との関係や系統を明らかにすること」だ。

しかしながら、それは当然、ひとりでは不可能な目標であるため、先生自身は、『日本および東アジアに分布しているコケ植物の分類や系統を明らかにすること』を目指しているという。

現在は、日本の島しょ域のコケ植物を研究中という。「地域としては小笠原諸島や琉球列島に興味をもっています。特に無人島など、これまで研究されていなかった地域に入っていくということをやっています。島は地域が限られてるので、植物地理などを研究するうえで研究しやすいということがあります」。

山口教授 標本庫にて
苔の標本

コケ植物の魅力を知り、広島大学大学院へ。分類学者としての道を歩む。

先生が植物に興味を持ち始めたのは中学生の頃のこと。山歩きが好きで、よく山に入っては、植物を採取して標本をつくり、図鑑や専門書を読みあさっていたという。そして、南の島への憧れから、大学は南にある生物系の学科を選んだ。そこで見つけたのが、「コケ植物研究」だ。

「当時、研究テーマを考えるというときに、まわりには自分よりもずっと生物や自然に詳しいひとたちがたくさんいたんです。この中で目立つためには、ひととは違うことをしなければならない。そう考えて、ひととは違う材料と、ひとがあまり行かないフィールド、この2つを併せ持つものとして、コケ植物を選びました。卒業論文は『西表島のコケ植物』でした」。

もちろん、コケ植物に詳しい先生などは身近にいない。そのため、自ら広島大学の研究室の先生や大学院生などにコンタクトをとって指導を仰いだり、文献を集めながら、独学に近い形で猛勉強を始めたという。さらに、深い学びを求めて、広島大学大学院へ進学。コケの図鑑の著者として知られる岩月善之助先生に師事し、コケの標本に囲まれた研究室は、まさに最高の環境であったという。

当時通ったのは、広島市東千田町のキャンパス。素晴らしい指導者を得たことに加え、大きかったのがやはり標本庫の存在だった。「コケというのは、本を読んでもなかなかよく分からない。実物を見て、その標本を比較して、研究しなければいけないので、まず標本が手元にあるということがとても重要なことでした」。

以来、コケの分類学者としての道を歩むこととなる。
先生によれば、分類学にはα、β、γという3段階がある。α段階は山に行って採取し、新種を見つけて記載する。β段階になると、その種と種の関係を調べる。系統を調べる。γ段階になると、その種がどういう風にしてできたのかを調べる、種分類学、種生物学といった分野になるとのこと。山口先生の研究はαおよびβの段階にあたる。

また、先生の研究で特徴的なのは、野外でのフィールドワークを重視する点だ。「分類学というよりも、博物学というような分野。Natural History、自然史学とか博物学、自然を相手にするフィールドワークを目指しています」と先生。

「コケ植物がどういう風に生きてるのか、まずは、生の状態をフィールドでちゃんと研究するということを大切にしています。採ってきたものはいわば、乾物、干物ですよね。そうではなくて、生きている状態で、どういうところに生きているか。ひとつの岩に生育している場合、岩の上なのか下なのか、側面なのか、水平な面なのか。北なのか南なのか。どういうところに、どういう風にして生育しているのかというのを大切にしながら、分類することが大事だと考えています」。

顕微鏡をのぞく学生と山口教授

博士論文から続くシラガゴケの研究。遺伝子レベルの解析にも取り組む。

先生が一番好きなコケ植物はシラガゴケだ。熱帯や亜熱帯に分布の中心を持つシラガゴケ属の分類について、博士論文で取り組んで以来、長く研究を続けてきているとのこと。シラガゴケの仲間は変異が大きく、よく分からない種もたくさんあるため、形態的な研究はほぼ終えたものの、最近は、分子データを使った研究を続けているという。「シラガゴケは形態的に区別しづらく、分類や系統づけることが難しいグループなんです。それで、分子データ、DNAを使って解析をしているところです」と先生。

こうしたコケ植物の魅力とは、いったいどこにあるのだろう。先生は次のように語る。
「コケ植物は、ひとが気が付かないところで、ひっそりと生えていて、ちょっと変わったものもある。それを見つける楽しみや観察する楽しみというのがありますね。さらに、比較的、DNAを調べやすいグループなので、分子データを使って、いろんな系統解析等をしやすいので、材料として便利というのもあります」。

また、こうも話す。「コケの一番いいところは、どこに行っても見つけられるというところ。乾燥に強いし、高温にも低温にも強い。だから世界中、砂漠と海以外、どこに行ってもコケがあるんですね。南極にもあるし、ヒマラヤの山中に行ってもあります。砂漠でも石の裏にちょっとあることも。山の尾根線を歩いてると、他の植物はなくなってコケしかなくなる。だから、コケの研究者には、山登りが好きな、山岳部出身のひとが多いです」。

採取された苔の標本
標本庫にて 南極の棚を開く山口教授

おもしろいことに、コケ植物は、採取後にそのまま乾燥させれば、標本になるのだという。しかも、虫も食わない。
「だから、防虫剤が要らなくてコンパクト。標本庫の引出しひとつに100点から200点入るんです。日本産のコケ植物はわずか1600種ほどなので、6畳一間に日本中のコケの標本を集めてきて、そこに顕微鏡を置けば、たちまち実験室ができる。高校の先生をしながら、学位を取ったひとが何人もいますよ」。

そして、先生はこれからも、フィールドでコケ植物を観察、採取し、持ち帰って詳細に調べ、前述の標本庫に加えていく作業を重ねていく。そこには、「次世代に引き継ぐ」という大切な使命がある。

最低でも成し遂げなくてはならないことは、標本を引き継ぐことであり、研究者をひとりでも多く育てることだと先生は言う。

「フィールドで種を同定できる学生を育てたいと思います。どこに行けば、どういうコケが生えているのかが分かって、その場で同定できる。そういうひとはいま少なくなっていますから」。

先人の貴重な遺産を次代へつないでいくことこそ、この研究ならではの意義であり、醍醐味と言えるのかもしれない。

山口研究室のメンバー 2020年1月21日掲載
山口 富美夫 教授

山口 富美夫 教授
Yamaguchi Tomio Prof.

植物分類・生態学研究室
1982年3月
琉球大学 理工学部 卒業
1990年3月
広島大学大学院 理学研究科 博士課程後期 修了
1992年4月~1995年7月
琉球大学 理学部 助手
1995年8月~2000年4月
広島大学 理学部 助手
2000年5月~2013年3月
広島大学大学院 理学研究科 助教授
2013年4月~2019年3月
広島大学大学院 理学研究科 教授
2019年4月~
広島大学大学院 統合生命科学研究科 教授
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